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小学校を出て帰る際に3匹の犬に襲われている男性(以下、Kさん)に遭遇し、危ないので車に乗ってもらいました。
最初は犬を散歩させているのかと思ったのですが、棒状のものを振って追い払う仕草が見えたので、気づくことができました。
まだニュースにはなっていないですが、避難した人が泣く泣く放して行ったペットの犬たちが空腹のためか凶暴化しているようです。
Kさんは足を少し噛まれたそうですが、大きな怪我はありませんでした。
なんでも3匹中の1匹はまだ理性があったらしく、2匹を制止するように吠えていたそうです。「あの1匹のおかげでこの程度で済んだと思う」と言っていました。

たった今、テレビ東京の生放送に辻元清美議員が出演していましたが、「ガソリンがない、食べ物がない、津波でいっそ死んだ方が良かった」と訴える女性の被災者に対して、「ガソリンがないのは港が潰れてしまって、ガソリンスタンドも壊れてしまって…」などと、素人でも分かる様な言い訳を延々としていました。

 この人は本当に政治家なのですか? 被災者の悲痛な声を直接聴いても言い訳を並べるだけ。お悔やみの一つも言わない。一体この政権は何をしているのでしょうか。強い憤りを禁じ得ません

編集部からの寄稿依頼の趣旨説明は次のようなものであった。
「ダウンサイズを余儀なくされた生活空間と、いつリストラされるか分からないという職場での焦燥、このままでは老後は暮らせないのではないかという将来の不安に苛まれながら、それでも、自分が少しでも心地いい居場所はどこなのか探している」若いサラリーマン男性たちが「そんな時代の中で『やりがい』とか『生きがい』を感じるためには、どうすればいいのでしょうか?」
まことに切実な質問である。
だが、このような問いに対して、私はあまりフレンドリーな回答を処方することができない。
ここまで追い詰められていながら、なお「私はどうしたらいいんでしょう?」と、事態の解決の道筋について、「他人に意見を求める」という態度そのもののうちに、「ここまで追い詰められた」ことの主因があるように私には思われからのである。
その理路について申し上げる。
「私はどうしたらいいんでしょう?」という問いのうちには、実は「問う」という以外にもうひとつ深層の含意がある。それは「クレーム」である。
「いったいどうなってんだよ?」とか「だから、どうすりゃいいんですか、いったいわれわれは?」という言葉づかいは外形的には「問い」のかたちをとっているが、もちろんこれは「問い」ではない。
「誰かが責任を取れ」と言っているのである。「誰かがなんとかしろよ」と要求しているのである。
このような要求は「責任者がいる」状況においてはたしかに適切である。ファーストフードで頼んだ「てり焼きバーガー」が15分待っても出てこないときには「どうなってんだよ」と声を荒立てるのは「あり」である。その場合には店長が「あ、すみません」と飛んでくる蓋然性が高い。
しかし、例えばアマゾン川下りクルーズの最中にボートが転覆して、アナコンダとアリゲーターが指呼の間に望見されるというような場合には「責任者出てこい」というようなことを言うのは時間のむだである。その暇があれば、必死で岸めざして泳いだ方がいいし、それよりもまず船に乗る前に、ボートの強度やガイドの人間的信頼性について吟味すべきだったと思う。
そういうことである。
「私はどうしたらいいんでしょう?」という問いはすでに自分が置かれている状況についての予断を含んでいる。そういう問いが出来る人は「申し訳ありません。あとは私がなんとかします」という「店長」が存在するということを前提にしている。
だが、世の中には「店長がいない」局面というものが存在する。
私たちが陥った苦境について、誰も責任を取ってくれない、誰も状況説明をしてくれない、誰もどうすればいいかを教えてくれないという局面が存在する。
そのような危機的状況のことを国際関係論では「デインジャー」と呼ぶ。それに対して、「責任者がいる」危機的状況のことは「リスク」と呼ぶ。リスクは「マネージ」したり「コントロール」したり「ヘッジ」したりできる。「デインジャー」にはそういう手が使えない。
喩えて言えば、サッカーの試合中に「試合に負けそう」というのは「リスク」である。試合の帰趨は選手交代やフォーメーションの変更や監督の罵声などでコントロールできるからである。それに対して、サッカー場がテロリストに襲われるというのは「デインジャー」である。テロリスト相手には「こういう場合にはどうすればいいか」についての一般解が存在しないからである。デインジャーからは、自力で、自己責任で、自分の才覚で脱するしかない。
「私はどうしたらいいんですか?」という問いを口にできるということは、「私が直面している状況はリスクであって、デインジャーではない」という状況判断を下したということである。それは言い換えれば「誰かが答えを知っている」「答えを知っている人間はそれを開示すべきだ」「オレにも教えろ」という一連の推論をなしたということである。
その危機感のなさが私たちの時代の若い方々の危機の本質的原因だと私は申し上げているのである。
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
健闘を祈る。
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室) (via yuco) (via yaruo)
2010-01-09 (via gkojay) (via lllkml) (via brccolsy) (via petapeta) (via mediapicnic) (via deli-hell-me) (via takaakik) (via uncate)
東京電力は、計画停電(輪番停電)を今夏だけでなく、今冬も続けなければならない、との見通しを明らかにした。東日本大震災の津波で、福島県と茨城県の大規模火力発電所が、現時点で復旧の見通しが立たないほど壊れていることが分かったためだ。
東京都江東区に住んでいる私たちは運良く計画停電範囲外、余震があったり、街灯がくらくなったり、コンビニからパンが消えたりするくらいしか影響がなく、この後も問題無く生活でき、仕事も滞ることなく出来るかと思っていたが、下記点から実家のある岐阜へ疎開することにした。
東京を離れることが「逃げる」事になるのではないか、という罪悪感がある方に読んでいただきたい。
地震がスタートしてから体調不良スタートし復調する気配がない・・・自分自身としては、特にストレスを感じているつもりはなかったのだが、地震が始まった11日からずっと頭痛が治らず、じんましんが発生した。「地震酔い」という症状かなと思いいろいろ試してみたが全く直らず。人によってはこの症状が全くあらわれないようなので、理解を得られるのは難しい。ストレスなのか、三半規管の乱れなのか今となっては何が原因かわからないが、岐阜へ疎開した後体調不良は一気に解消された。食欲旺盛となって太ってきているほどである。
保育園が登園自粛となった・・・電車のダイヤが乱れているのは保育園の先生たちも同じで、かなり人数が減っており対応に苦慮されている。私の子供が通っている保育園だけでなく多くの保育園で登園自粛となっているようだ。実家に来ることは保育園の先生の作業量を減らすと共に、おじいちゃんおばあちゃん孝行にもなって、良い結果と産んだと考えている。
余震・計画停電の情報に振り回され多く仕事にならない・・・都内で働く多くの人は本件が最も負担になっているのではないか。江東区に住む私たちは計画停電に当たらなかったものの、一緒に仕事をしている仲間は横浜に住んでおり計画停電に入るか?入らないか?みたいな状況になり東電からの情報を常に手に入れようとしたり、電車が止まるのか止まらないのかの確認をしたり、余震が来ればどこが震源地か、余震の影響で何がどう変わるのかなど、とにかく業務外の情報に振り回され、仕事に集中する事ができなかった。「惑わされるお前が悪い」と言われればその通りなのだが、拠点を岐阜に強制的に移すことで、情報に振り回されることがなくなった。
上記のような負担がある東京在住の方は多くいて、東京で働き続けることが責務と思い、それだけを原資に頑張り続けている方も多くいると思う。私はその方へ下記メッセージを送る。
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今、未曾有の危機の中東京で働き続けることはたしかにすばらしいことで、タフでかっこいい。でも、「経済の中心である東京で働くぼくたちわたしたちは、今まで通りその責務を果たさねば。経済を回すのだ!!」って思いながら結局、いつもの6割くらいのパフォーマンスしか出せてない方は多くいると思う。
別に東京を離れたって仕事は出来るんじゃね?新幹線は動いてる。4月10日までは我らが青春18切符がある。打ち合わせがあるならそのときだけ東京に行けばいい。高速バスだって動いてるよ。
場所なんて関係ないし、むしろ上記のような発言は今まで地方企業として素敵な仕事をされてきた方々に失礼だ。
その昔西原理恵子せんせえはその作品の中で、「人生と商いは止まらない列車だ」と、中華料理屋のおかみさんに言わせた。火事が起きても次の日には店を開けた。私のような、地球うまれインターネット育ちの人間は、地震が起きてもその日からインターネットでお店を開く。
場所は関係ない。人生と商いは止まらない列車だ。インターネットまでのレールがあれば列車は止まらない。始発駅が東京だろうが地方だろうが関係ない。
始発駅から列車を走らせることが出来ないと思ったら、遠慮無く地方へ行こう。
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私はいつもお世話になっている岐阜県大垣市のソフトピアジャパンで、ネットと電源と机と椅子をお借りしながら、下記のようなフリーランス向け・小規模会社向け震災被害者への支援活動をサポートすることで、微力ながら震災支援活動をしている。 東北地方太平洋沖地震の影響を受けたスマートフォンアプリ等開発事業者の支援のためソフトピアジャパン・センタービルの研修室を提供します 岐阜県では企業向け長期移転支援は既に決定していたが、私のような小規模会社向けの短期避難対応は当初行っていなかった。私がソフトピアのミーティングルームを有料で借り(といっても1時間120円という格安だったので私としてはこれで全く良かったのだが)仕事をしていたところ、ソフトピアジャパン・県庁の方々が検討してくださり、センタービル11階の研修室を無料開放してくださった。
ソフトピア・ジャパンの隣には、1泊1,500円の「ソピア・キャビン」という施設がある。こちらも通常は4時チェックイン10時チェックアウトだが、こもりきりで作業したい方向けに、チェックアウトせずずっと部屋で作業し続けることが出来るよう手配してくださった。
対象が「スマートフォンアプリ等開発事業者の支援のため」となっているため、かなり範囲が狭くなってしまっているが、「スマートフォンアプリ」に利用できる何かの関連事業であれば、十分交渉の価値ありなので、お困りの方、また、自身の業務が該当するかどうかがわからない方は、是非お気軽に私までお問い合わせ頂きたい(mail:oosawa@tokyostorm.com / Skype:ktsuyuguchi)。
※3月22日現在、まだ空きがありますのでもったいないんですよねー!是非お気軽に。Reblogコメントでも質問あれば是非どうぞ。
1年前の2月27日にM8.8の大地震がチリで、今年の2月22日にはM6.3の地震がニュージーランドで起き、3月11日は日本でM9.0の巨大地震が起きた。ニューズウィーク誌によると、これら3つの大地震は太平洋プレートが関係している。巨大なプレートの一角で地震が起きると数週間あるいは数ヶ月後に同じプレートの別の一角で大きな地震が起きることが少なくない。3つのエリアは太平洋プレートの3つの角にあたり、まだ何も起きていないのは北東部にある断層、サナンドレアス断層だというのだ。つまり、アメリカ西海岸のサンフランシスコ周辺だ。この地域で最後に起きた大地震は1906年の推定M7.8の地震。既にエネルギーは限界まで溜まっているという。